自筆証書遺言の文面全体への線引き(民法1024条前段)

1.遺言者自筆証書である遺言書に故意に斜線を引く行為は、その斜線を引いた後になおもとの文字が判読できる場合であっても、その斜線が赤色ボールペンで上記遺言書の文面全体の左上から右下にかけて引かれているという判示の事実関係の下においては、その行為の一般的な意味に照らして、上記遺言書の全体を不要のものとし、そこに記載された遺言の全ての効力を失わせる意思の表れとみるのが相当であり、民法1024条前段所定の「故意に遺言書を破棄したとき」に該当し、遺言を撤回したものとみなされる(最判平成27年11月20日・判タ1421号105頁)。
2.民法1024条前段は、遺言者が故意に遺言書を破棄した場合に、その破棄した部分について遺言の撤回があったものとみなす旨の規定である。いかなる場合に、民法1024条前段にいう「遺言書の破棄」があったといえるかについて、公表されている裁判例でこれについて判示したものは見当たらないが、学説は、「遺言書の破棄」とは、遺言書の焼却、切断等といった遺言書の形状事態を把握する行為のみならず、文面を抹消する行為も含まれると解している。
3.民法968条2項は、自筆証書等の遺言書の加除その他の変更について厳格な方式を定めており、通説的見解によれば、この方式に違反した変更がされた場合に、そのような変更のみが無効となり、変更前の遺言が方式を満たしている限り、当該遺言は変更前のものとして有効に成立するとされている。
4.通説的見解によれば、本件遺言書に本件斜線を引く行為は、元の文字が判読できる程度の抹消であるから、「遺言書の破棄」ではなく、「変更」に当たり、民法968条2項の方式に従っていない以上、「変更」の効力は認められず、本件遺言は元の文面のものとして有効であるということになりそうであり、原審はこのような判断経過をたどって、本件遺言を有効なものと判断したと考えられる。
5.本件のように遺言者が故意に赤いボールペンで遺言書の文面全体に斜線を引く行為は、通常は、その行為の有する一般的な意味に照らして、その遺言書全体をもはや遺言書として使わないという意思の表れとみるのが相当であると考えられる。また、民法968条2項は、その趣旨・文言に照らして、遺言書の一部の変更を念頭に置いていると解され、遺言書の文面全体の抹消の場合にまで同項の規律を及ぼすべき必要性、相当性はないように思われる。
6.本判決の判示に照らすと、先に照会した通説的見解の射程を一部修正したものであると考えられるから、遺言書の一部の抹消にとどまる場合で、抹消後に元の文字が判読できるときは、民法968条2項の規律が及び、同項の方式を遵守していない限り、抹消としての効力が認められないのではないかと思われる。